教育の自由化が招いた不幸な事件
地方の公立高校や私立高校で、高校3年生の卒業が危ない。必修科目の未履修が、大きな問題になっている。今回の問題は、教育の自由化による弊害だ。しかし、この問題が発覚した時の各校長の発言が、情けない。「生徒の強い希望」で、そうしたという学校のなんと情けないこと。生徒の希望をそのまま聞いて、学習指導要領を無視するとは。しかし、この言い訳は、通用しないように思う。学校と生徒の利害が、一致したのだ。だからこそ、必修科目を無視して、大学受験科目を行なったのだ。
今回の問題発生の県は、地方に限られている。公立高校の地方における大学進学の役割は、首都圏とは比較にならないほど大きい。首都圏では、高校と予備校が、役割分担しやすいし、私立高校と公立高校の合格実績における期待度が違うから、それほど、公立高校にプレッシャーは、かからない。かかるとすれば、都立高校の進学重点校ぐらいだろう。だから、東京都も一校出てしまった。かたや地方の公立高校は、地元の国公立大学や名だたる有名大学の合格実績を一手に背負っているのだ。だからこそ、教育の自由化が推進され、学校間競争が増幅された2002年前後からこのような問題が、起こるのだ。
私は、学校に競争を持ち込むなといっているのではない。何でもかんでも競争を持ち込むなといっているのだ。切磋琢磨しなければならないものに関して、競争を保障し、長いスパンで人間的な成長を見守ることが必要な場面では、競争は必要ないのだ。全面的に、競争が学校現場に持ち込まれてしまったら、子どもの成長は、非常に短絡的なものになってしまう危険性があるのだ。そうなれば、学校制度の本質である、管理と選抜だけの学校に本当になってしまう。勉強だけのために、学校があるということになってしまうのだ。そうなってしまえば、子どもを一人前にする機会や機関が、なくなる恐れがある。それでなくても、学校にそういう機能がなくなりつつあるのだから、この流れは阻止するべきなのだ。
自由競争を学校に、教育に持ち込む結果、私たちは、人間を一人前にする場所と時間を失くそうとしている。今回の事件は、学校に競争を持ち込めば、こういう事態になるのだという警鐘だ。前回のいじめの件もそうだが、競争主義が、万能ではないことを私たちは、自覚することだ。耳に心地よい教育改革は、疑うことだ。2002年の教育改革のキャッチフレーズを忘れるべきではない。みんなが100点を取れる学校!なんて今も昔も存在しないのだ。



