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いつから先生は、毅然とした態度が取れなくなったのだろう?


 14日の朝日新聞に「ゼロトレランス」(寛容度ゼロ指導)の記事があった。この記事を読んで、二つのことを思った。一つは、昔の生徒指導の厳しさが徐々に復活してきたのかなということと、こんな機械的なことをしなければ、生徒指導が出来ないような先生と生徒の人間関係っていうのは、何なんだろうという思いだ。
 毅然とした態度を先生が生徒にとることは、当然のことだ。先生のその姿勢を保障するために、教職員が一致団結して、教職員の行動ルールを決めるのは、何も批判することではないが、記事の中にある「ゼロトレランス」(寛容度ゼロ指導)は、いかにも機械的で、サッカーの審判のように、イエローカードを提示し、反則切符を切って、生徒に自分の反則回数を意識させるだけのもののように思えて仕方がない。先生が主体的に生徒の問題状況と向き合っているのかどうなのか、この記事からは見えない。先生が第三者のように反則切符を切る警察官のようだ。
 こんな点数制にしなくても、「ゼロトレランス」(寛容度ゼロ指導)の指導は、出来るのではないだろうか。昔のように、先生が身体を張って生徒と向かい合うことが、人生を教える上で、非常に大切なのではないか。ルールだから、反則なんだ!と宣告されても、生徒が納得しない限り、何の役にも立たないように思う。学校生活上の規律が保たれるだけで、生徒が社会に出てからどうなるのか、考えていないように思うのだが、どうだろうか。誰のために、規律を教えるのか、この問いをもう一度考えてみることだ。子どもが一人前になるために、社会の規律を教え、その規律を守らなかった際の罰についても教えるのが、教育というものなのではないだろうか。学校を維持するために、ただ生徒を脅かしても仕方がないように思う。


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