いじめは当事者意識が発見を促す!
学校でのいじめの問題については、去年の暮れから随分と報道されてきているし、教育関係者が随分と議論もしている。が、いじめを撲滅することは非常に難しいと思われる。それは、元来集団が持っている本質的な排除機能が、学校の中にもあるからだ。誰かをスケープゴートにして集団を維持していく機能が、どの集団の中でも基本的にはあるのだ。だから早々容易くいじめはなくならない。子どもだけではなく、大人の世界でもいじめは集団についてまわるものなのだ。
しかし、学校でのいじめの問題は子ども同士だけの問題ではなく、親の問題・教師の問題としての側面があるから、大人社会でのいじめとは多少性質を異にする。学校には教師というアンパイアーがいるし、親という応援団がいる。だから大人社会のいじめ以上に難しくもなるし、逆に解決する可能性も出てくる。
先日の読売新聞の記事を読むと、いじめにはもしかすると教師が気がついている場合が多いのではないかと思う。記事の中の「いじめの事例を認識したことがあるか」との問いには、1万740人(46・2%)が「ある」と回答していることから考えても、半数近い教師はいじめを発見していた可能性がある。そして、その発見方法は、他の教師からの情報が多いのだ。ということは教師集団として考えれば、非常に多くの教師がいじめを認識していたように思われるが、どうだろうか。
その前提に立って考えると、いじめは教師の当事者意識次第で未然に抑止できる可能性があるということだ。学校内で発見された全てのいじめは教師や職員全員の問題だと考えれば、いじめの撲滅は難しいだろうが、いじめを発見して解決することは出来そうな状況なのかもしれない。教師がセクト主義や傍観者主義を超えて、ひるむことなく生徒集団の中に誰かれなく入っていけば、いじめは早期で発見されて、子ども時代のひとつの出来事で終わるかも知れない。教師に当事者意識を望みたいところである。



