全国学力テストに思う
莫大な予算を投じて実施された全国学力テストだが、このテストの結果をどう活用するのだろうか。今回の実施は、以前では考えられないことが、いくつもあった。ひとつは、プライバシーの問題。人権意識の拡大で、教育にまで個人情報の取り扱いが問題になり、番号制を導入したり、テストを拒否したりということが起こった。以前ではまったく考えられなかったことだ。このことと関連して、民間に処理を委託した結果、どういう流用がありえるのかを誰も予想できない点だ。もう一つは、学力テスト自体が、こんなに簡単に実施されたことだ。1970~1980年代だったら、どうだっただろうか。大変なことになっていたはずだ。
全国の学校が、学力至上主義に徐々に近づきつつあるように思う。学力テストの結果を公開するしないにかかわらず、定期的に実施される学力テストの無言の圧力は、非常に強いはずだ。テスト結果を誰も知らないわけではないからだ。教育行政側や保護者が関心を強く示すからだ。学力忠誠競争の始まりだと見てよいのではないだろうか。
根本的な問いを一つ。学力の養成がそんなに大切なのだろうか。学力の高い生徒が、生きる力が高いのか。この点には、それほど明確な相関関係はないように思う。それよりは、学力を獲得する過程の努力が、生きる力を育むのではないのだろうか。それと同じように、何かを獲得する過程の努力が重要なのだから、学力に限定する必要はないのではないだろうか。そうだとすれば、学力テストの一斉実施に、大きな予算をつけてやる必要があるのだろうか。そんな思いがする。余談だが、学力忠誠競争が激しくなればなるほど、画一的な能力が蔓延することにも注意が必要だ。
学力テストを実施することで、何かが免罪符のように進行していくことが非常に心配なのだ。大衆教育とエリート教育が、なし崩し的に存在してしまって、気がついたときには、暗黙の内にコースが隔離されているような状況が、起こってしまうことは怖いのだ。教育の方向性を国民に明確に知らせながら変革を実施してもらいたい。



