高校の教科書が語るもの
4月1日の朝日新聞に、高校の教科書の二極化の記事があった。私が、従来から主張している2002年の教育改革(教育の自由化)=ゆとり教育は、大衆教育とエリート教育を分けて、教育の二極化を促すための仕掛けだという論拠になるものだ。
教育改革(教育の自由化)=ゆとり教育が、学力低下問題を引き起こし、国民に学力低下は、問題ですよ!と警鐘を鳴らし、学力低下問題を解消するために様々な工夫をすることは、非常に重要なことだと
国民を説得し、国民に教育における学力問題を定着させた。
この朝日新聞の記事は、そういう背景から様々な工夫が許され、普通科高校でも、高校によっては、学習内容のレベルに非常に大きな格差がある教科書を使うことが、当然とさせる状況を作り出したということだ。高校における大衆教育とエリート教育の完成だとも言える。
持論はそれぐらいにして、この記事に、皆さんは、違和感を覚えないだろうか。この記事は、高校の教科書にイラストや漫画を使用して、生徒のやる気を引き出すことが紹介されている。この記事を読んでいるとどうも中学生の教科書のような気がする。
中学生の教科書であれば、記事の「数学が苦手な生徒に入り口のドアをノックしてほしい。マンガやイラストは思わず開いてみたくなるように使った」という担当者の声は、十分説得的だが、高校の教科書で、改めてそんなことを言われてもどうなんだろうという気がしないだろうか。
実は、こういう発言の中に中学校でも大きな二極化が進行していることが分かるのだ。義務教育の中で大きく格差を生じさせて、中学校の勉強もおぼつかない状況を作り出して、高校に送り出していくのだ
から、そういう発言になるのだ。教科書会社の人は、正直だから、中学校の勉強も出来ない高校生のために、教科書を作りましたよ!と言っているのだ。
こういう状況を作り出した文部省(旧)=文科省の責任を問うべきだと私は思う。私たちは、教育行政に対して、もう少し、結果責任を追及するべきだ。
私たちの知的インフラがどんどん後退して、一部のエリートだけが、私たちの知的財産を活用できるような状況になりかねない。そんなことでは、日本の将来が、危うくなってしまうだろう。
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