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2007年06月27日

理不尽な保護者を指導しよう!


 昨今の学校いじめ、教員いじめは、行政だけではく、保護者の間でも凄いものがある。最近の新聞の記事にも理不尽な保護者の実態がのっていたが、それにしても、こうもどうしようもない親が世間に多くなってしまったのはなぜだろう。いろいろな要因が考えられるが、その一つの要因は、世間に流布している「教育は、サービス業だ」という認識だと思う。
 確かに、教育は、サービス業だが、それだけのものではない。サービス業の中でも特殊なサービス業だ。教育サービスは、指導性というものが、キーワードになる。サービス業の中に、この指導性があるものは、それほど多くはない。医療関係と教育関係だけだろうか。この指導性がどういうことかというと、たとえば、居酒屋さんならば、メニューにあるものならどんな食べ合わせのものでも注文に応じてくれるはずだ。たとえば、その食べ合わせで下痢になろうがなるまいが、居酒屋さんは気にする必要がない。注文したお客様の言う通りに受け付けるはずだ。つまり、お客様は神様です!の世界なのだ。
 それでは、教育サービスではどうなのかと言うと、お客様の注文が、お客様の健康を害することであれば、注文の時に指導が入り、その食べ合わせでは下痢になるので、こういう食べ合わせがいいですよと、アドバイスする。お客様の言うことだけを聞いているものではなく、お客様が気がつかない様々なことを知って、お客様のために、お客様にとって、今は厳しいが後々お客様の役に立つことを今することが、教育サービスなのだ。だから、お客様に一方的に迎合して済まされるサービス業ではないのだ。だから、教育サービスを実行する教師には、しっかりとした見識が必要なのだ。
 こういう特質を持つ教育サービス業を最近は、よってたかって、接客業のようなサービス業に仕立てているから、不見識な保護者が、理不尽な要求をするようになるのだ。ぜひ、最近の保護者の理不尽な要求に対しては、毅然とした態度で教師が接してほしい。そして、保護者にもしっかりした指導をしてほしいものだ。子どもは親の背中をみて育つんだと!


2007年06月14日

教育再生会議の答申に思う


 この17年間の教育行政の流れの中で、今回の答申が、何を意味するのか、包括的に検討しなければならないように思うが、結局、国が目指したここ17年の教育改善ならびに改革は、80年代中盤に外圧で屈した学力偏重の教育をもう一度元に戻そうとすることだったように思われて仕方がない。
 1975年当時の現代化カリキュラムに徐々に戻して、その上で、教育の複線化を潜在的に推し進めていくような流れにしたいのだと思うが、どうだろうか。
 結局、教育制度を戦前の大衆教育とエリート教育の複線化の現代版にしたいのだ。だから、義務教育にまで、競争原理を導入して、複線化の下地を形成しようとしているのだ。そうでない限り、高度に成熟した日本で、国家維持の基盤である義務教育のインフラをズタズタにしてまで、競争原理を導入するわけがない。エリートの養成を最優先させて、教育基盤が多少は崩れても、国際社会の中で、日本が生き延びていくリーダーを養成しようとしているのだ。
 しかし、その狙いは果たして日本のためになるのか!?そのことを徹底的に議論したほうが良いのに、その狙いを隠蔽して学力低下解消問題や教員の質向上の問題や教育の質の向上の問題にすり替えながら進行させているから、そのような議論には正面からはならないのだ。こんなインチキがあっていいのだろうか。またこの答申の中で、競争原理の導入をどういう視点で考えているのか見えない。競争原理の導入にどんなメリットとどんなデメリットがあるのか、議論を重ねただろうか。非常に疑問が残る。何を基準にした競争原理の導入だろうか。
 少なくても、有識者といわれる方々が、議論しているのだろうから、何人かの方は、国家の横暴に対して批判的な視点を持って、会議等に臨まれているはずだから(そんな人は、選ばれるわけがないか!)、そんなに教育行政の言いなりになっているわけではないだろう。今までの学校教育の中で、弊害と思われているものの解消のために競争原理の導入になるだろうから、その弊害を解消するような競争基準を選んで欲しいものだ。
 答申の中で、「成果」 という文言があったが、その「成果」とは、何を指すのか。この「成果」の基準を価値転換してしまったら、非常に有意義なものになるように思う。たとえば、答申が念頭においている「成果」とは、学力向上(=テストの点数向上)だろうが、生徒のモチベーション向上に対するものだったり、地域活動の推進状況だったりすれば、どうだろうか。
 児童・生徒の学校における活動・児童・生徒の地域における活動が、活発化することが、学校の評価軸になれば、国家の教育行政の狙いを超えて、国家の一員としてさらに良い教育効果をもたらすように思うが、どうだろうか。
 安易な競争原理の導入は、一元的な価値が支配するから、実は、画一的な教育になり、画一的な構成員を創り出してしまう。こんなことは、20世紀を生きてきた教育学者であれば、誰でもが知っている学術的な真理だ。それなのに、そういうことに触れない答申を私たちは、安易に信じてはいけない。触れないのには、大きな意味があるのだ。教育再生会議には、大きな意図が隠されているかもしれない。その意図を私たちは、明確にしながら、答申案を議論するべきだと思う。


2007年06月03日

兄弟間で親の愛情に差が出る


 こんな事実は、認めたくないだろうが、兄弟(姉妹)がいる家庭は、愛情がその兄弟に平等に振り分けられてはいない。親は無意識に、兄弟(姉妹)間に格差をつけて育ててしまう。
昔はそれでも、極力兄弟(姉妹)間で平等にしようと思って、親も努力していたが、最近は、そんな努力をしない親が非常に多くなった。学習塾などでは、お金をかけて元が取れる子どもにお金をかけ、元が取れない子どもには、お金をかけないと堂々という親がいるぐらいだ。
 子どもは、非常に敏感だから、親のそういう無意識の態度が、伝わってしまう。自分には、親は期待をかけてないな!と実感すれば、子どもはやる気をなくして、親の感心を引くことだけに力を注ぐか、無気力になって、親に心配をかけようとする。
 また、兄弟間で、格差があまりにも露骨だと、親に期待をかけてもらっている兄弟の一人をねたみ、足を引っ張ろうとする。子どもにとっては、親の関心や愛情の対象になることが重要だからだ。
 だから、子育てに関して、兄弟(姉妹)間で格差が出てしまうことを親は意識して、極力意識的に愛情を振り分けることだ。子ども一人ひとりの良い点を意識化して、認めていくことだ。あまりに偏った態度を取らないように注意したい。
 親の愛情は、兄弟間で、そんなに格差はないと建前で考える必要はない。ついつい無意識のうちで、偏ってしまうのが、人間の愛情だ。そのことを素直に認めて、子どもと対峙していかなくてはならないのだ。




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