先生が、変なことをするわけ!
先日、大阪市の中学校でサッカー部員を全裸で走らせた顧問の男性教諭(48)を停職2カ月の懲戒処分にしたという記事を読んだ。この記事を読んだ人は、なんでこんなことをいい年をした人間が、やらかすのだろう?と不思議に思ったことだろう。こんな馬鹿げたことをする人間は、今の世の中にいるはずがないとも思うだろうが、しかし、現にいるのだ。それも先生と呼ばれる職業の人間が、こういう馬鹿げたことをするのだ。
それは、なぜなのか。それは、先生という人間の置かれた環境に起因するところが多い。最近は、社会的な目が厳しいので、学校の先生初め、医者や弁護士や代議士は、批判の対象に置かれているが、その昔は、先生と呼ばれて崇められていた。そして、先生と呼ばれるようになると、誰からも批判の対象になることはなかったのだ。
特に、学校の先生は、学校内にいれば、生徒に権力を振るう最高権力者だった。子どもという社会的未熟者を指導しているという優位性があるから、子どもの批判を真っ向から受けることはなかった。また学校内で全てが処理されて、問題が社会に出ていかなければ、どんなことでも許されていた。そんな環境に長年いれば、常識的なことが欠如してしまうのは、当たり前だ。
そして、学校の先生がやることは、児童・生徒のためを思ってやっていることだからという免罪符が功を奏して、自分のやることなすことに自己批判も他者批判も及ばない環境になってしまっていたのだ。
また学校の先生の自律性の尊重が、このような自己批判も自己反省力もなくしてしまうのだ。他者からの批判の目が、人間には、必要だが、その環境に先生と呼ばれる人たちはないことが多い。
だから、こんな馬鹿げたことが起こってしまうのだ。だから、開かれた学校作りは、非常にいい試みだ。今まで通用していた学校内での常識が、社会の常識のまな板に載せられるだけ、今よりは、随分と変わるはずだ。「先生といわれるほどの馬鹿はなし」という自戒の言葉を私たちは、もう一度掴みなおすことだ。



