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      <title>教育羅針盤</title>
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         <title>子どもに自信を！</title>
         <description>  自信とは、自分の可能性を信じることです。自分には、何かをやる能力があるとか、自分は、どんな状況でも何とかなるとか、自分に対する信頼や自分は何かが出来るという可能性がある状態を自信のある状態だということが出来ます。
　それでは、こういう自信を持つためには、どういう感情が必要なのでしょうか。それは、自己を肯定する感情です。自己肯定感（＝自分はこれでいいのだとか自分はこういう存在なのだという感情）が、自信に繋がるはずです。それでは、この自己肯定感は、どうすれば高まるのでしょうか。
　交流分析でいうプラスのストローク、特に無条件のプラスのストロークで、接することで自己肯定感は高まるようです。それは、子どもに対する承認活動といってもいいと思いますが、子どもの存在承認・成果承認・未来承認で高まるということです。
　たとえば、無条件のプラスのストロークとは、子どもが、何かをしたから褒めるというよりも、何もしなくても子どもがいるだけで、親として子どもを認めるというものです。たとえば、算数のテストで、１００点を取ったから褒めるというのは、条件付のプラスのストロークです。それに対して無条件のプラスのストロークは、どんな得点でも親として子どもに対して優しく接するということです。
　私の言う承認活動もそれに似ていますが、算数の点数で、３０点取ってきたら、出来ているところを認め、出来ていないところは無視をするというものです。全体の評価というよりも、できている部分を見逃さずに認めていくというものです。
　こういう子どもの肯定的な面をいつでも関心を持って見つめていくと、子どもの自己肯定感は、高まっていくのです。そうすると、だんだんと新しいものにチャレンジしていくようになります。失敗が怖くないからです。
　そうなると、何に対しても自信を持って望めるようになりますし、新しいことをして、失敗しても、失敗から何かを学ぶようになっていくものです。自分自身の強さを実感できるようになっていきます。
　私たちは、子どもの良い面と悪い面を同時に認めることです。そして、良い面に関心を示して、良い面を伸ばしていこうとすることです。そうすれば、子どもは自分自身の可能性を信じられるようになるものです。そうなれば、子どものやる気は断然高まってくるはずです。
　ぜひ、子どものよい面を徹底的に認めるようにしてください。
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         <pubDate>Fri, 29 Jul 2011 14:56:41 +0900</pubDate>
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         <title>何を見るかが、問題だ！</title>
         <description>　私たちは、人それぞれで見ている風景が違う。同じ空間にいても、何を見ているかが違っている。同じ絵を見ても、見ている絵のどこを見ているか、人によって違っている。だから、何に目を向けるかではなく、何を見ているかが、重要なことなのだ。
　私たちが、問題だと感じていることが、本当に問題なのかどうかは、実は今言ったように人によっては全然違うのだ。今回の福島の原発問題も然りだ。何を問題としてみているか、人によって全然違ってくるのだ。だからこそ、しっかりとコミュニケーションを取ることだ。徹底的にコミュニケーションを取って、見ている問題を同じにすることだ。
　私たちは、今から３０年前に原発については、それこそ色々議論をした。「東京に原発を！」という本も出版され、それに触発されて、私は、数十人のメンバーで福島原発とその周辺を調べた。今回の事件を目の当たりにして、その当時の福島原発の責任者の発言がよみがえってきたし、その周辺で話を聞いた住民の方々の顔もおぼろげながら、思い出しもした。
　こんな悲劇は、二度と起こしたくはない。今回こそ、徹底的に議論をするべきだ。あの時の力不足をもう一度おかさないようにしていきたい。
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         <pubDate>Mon, 23 May 2011 15:54:09 +0900</pubDate>
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         <title>態度を選ぶことが重要なことなのだ！</title>
         <description>　私は１月の後半から２月にかけて、高１と高２の生徒を対象に、進路講和を行なってきました。
全てが自己表現であるということ、態度を選ぶ自由が人間にはあるということについて話をしてきました。

『人間は態度を選んで生きている！』

　人間は、自分で態度を選んで生きていますが、自分で態度を選んでいるとはなかなか理解されません。それは自分では意識しないで態度を選んでいるのでわかりにくいのです。ですから、態度が選べるものなんだということを子どもに納得してもらうことが大切です。
　ヴィクトール・Ｅ・フランクルが、「あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、自分のあり方を決める自由である。」と言ったように、人は態度を選べます。
　例えば、アウシュビッツ収容所で、ある人は無気力になり、ある人は自暴自棄になり、ある人は病人を勇気づけるような行動を取る、というように、状況は同じなのに人によって態度が違うのです。まず、このことを子どもに理解してもらうように話をすることです。
　そして、次に態度を選ぶとして、どういう態度を選べばいいかということですが、自分にとってプラスになるような態度を選ぶということです。まずは、状況に対して積極的に参加するという態度です。例えば、叱られることに対して積極的な態度を取るということは、叱られている時に、素直に叱られたことを受け止めるということです。反論もせず、ふて腐れず、素直に叱られることです。
　叱られて、ふて腐れた態度を取るか、ふて腐れずに、素直に叱られるかで、自分の叱られたことに対する結果が違ってきます。そういうことを子どもに理解させてください。
　叱られた時にどういう態度を取るか、困った時にどういう態度でいるかは、重要なことなのよ！と教えてください。どんな態度を取るかで人生は決まってくるのよ！と子どもにいつでも伝えてください。

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         <link>http://www.jyuku-go.com/blog/002/2011/02/post_81.html</link>
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         <pubDate>Thu, 24 Feb 2011 19:01:30 +0900</pubDate>
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         <title>土曜日授業の拡大に思う！</title>
         <description>　「ゆとり教育」の象徴として学校週５日制の導入が２００２年から完全実施になったが、結局、今度の学習指導要領の改訂で、「ゆとり教育」なんてことは吹っ飛んで、２００２年の枠組みでは、新しい学習指導要領はこなせないということになり、土曜日の授業をどうするかという議論が全国で起こるようになった。
　それは、当たり前のことで、学習量を減らすから学校の授業を減らせるのだが、学習量を増やそうというのだから削った学校の授業時間をそのままにして出来るわけがないし、出来るとすると、その昔、さんざん「詰め込みはだめだ！」と言って「ゆとり教育」を導入した趣旨と本当の意味で矛盾し、あの時に言っていたことが、益々欺瞞性を帯びてしまうことになる。
　子どもの個性を伸ばすためには、「ゆとり」が必要だということで、学習量を減らし、「ゆとり」を作るために、学校の授業時間を減らして、生活上の「ゆとり」を確保したのだ。
　当然、学力低下問題が起こることを承知で行なっていったのに、一旦学力低下問題が表面化したら、今度は、「ゆとり教育」を簡単に切り捨てて、今回の学習指導要領の改訂にまい進したのだ。
　あの時のスローガンはどうなってしまったのだろう。子どもたちの個性は作らなくていいのか？そんなことを文科省に言いたい気がするが、新聞等の記事でよく取り上げられているように、自主的に学校が、土曜日の授業を推進してくれることを文科省は、祈っているのだろうか。全国的に土曜日授業が拡大する雰囲気になっている。
　以前から私が訴えていたように、２００２年の教育改革は、日本の教育を学力偏重にシフトするための罠だったということだ。今回の土曜日授業の動きからはっきりしたように思うが、どうだろうか。土曜日の授業は、全国にどんどん広がっていくように思う。そして、１０年前に企てたことが、全く姿を消すように思うが、どうだろうか。ゆとり教育はなんだったんだろうか。
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         <link>http://www.jyuku-go.com/blog/002/2011/01/post_80.html</link>
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         <pubDate>Mon, 24 Jan 2011 19:21:14 +0900</pubDate>
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         <title>ご挨拶</title>
         <description>　今年一年、お世話になりました。１ヶ月に約１回ですが、教育に関しての文章を書いてきました。読者の皆さんの参考に少しはなったでしょうか。来年は、日本の教育が何か大きく変わるような気がします。
　来年も教育に関して発信していきますので、よろしくお願いします。
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         <link>http://www.jyuku-go.com/blog/002/2010/12/post_79.html</link>
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         <pubDate>Wed, 29 Dec 2010 12:51:11 +0900</pubDate>
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         <title>クリスマスの約束！</title>
         <description>　あと少し経つと、子どもたちが、自らの誕生日と同じくらい楽しみにしているクリスマスがやってきます。
週末は、クリスマスプレゼントに関する広告で新聞はいっぱいになることでしょう。そして、この頃のおもちゃ屋やおもちゃ売り場は戦争のようになっていることでしょう。
　子どもは、親からプレゼントをもらうことが、当たり前だと思っているこの時期だからこそ、親にとっても子どもにとっても学びの多い機会があるかもしれません。
　例えば、親が「何でもほしいものを買ってあげる」といって、お店に出かけるとします。「これがいい」と選んだ子どもに対して、「それよりこっちの方がいいでしょう。」とか「それはまだ、あなたには無理だから・・・」、「そんな高いもの・・・」と親が言うとします。
　子どもは何でも買ってもらえると思って選んだにもかかわらず、親からの待った！これでは、子どももちょっと不愉快になったりするものです。そこで、親の言葉に耐え切れなくなった子どもは、「もう、なんでもいいよ。」ということになるかもしれません。「折角お母さんが買ってあげると言っているのにその言い方は何。それじゃ買ってあげないからね。」なんてなるかもしれません。
　子どもに喜んでもらいたいという親の気持ちと、期待に胸を膨らませた子どもだったはずなのに、あと味の悪い結果になってしまうケースがあります。
　こんなことにならないように、今からしっかり子どもと話をしてみるとよいと思います。
　「クリスマスにお母さんとお父さんからプレゼントを買ってあげようと思うのだけれど、何がほしい？」「ただし、何でもというわけにはいかないの、お金は、○○円以内のもので、あなたが大切にしてくれるものにしてほしいわ。」
　すぐに決められなかったり、気の変わりやすい子だったら「ほしいものをクリスマスの前の日までに3個くらい考えておいて。そして、前の日にお母さんといっしょに1つ決めましょう。」そして、出かける前にもう一度プレゼントの最終確認をして、「もし、お店で目移りすようだったら一回、お店から出て（家に帰って来て）、もう一度考えましょう。」と約束しておきましょう。
　買い物は、社会性を育てるチャンスです。手に入れようと思っている物が本当にほしいものなのか、家族も認めてもらえるものなのか、予算は適当かを十分検討した上で、出かけましょう。十分吟味した上でのクリスマスプレゼントは、子にとっても親にとっても納得できるものです。素敵なものになるはずです。

『社会性を育てることが親からのプレゼント！』
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         <link>http://www.jyuku-go.com/blog/002/2010/12/post_78.html</link>
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         <pubDate>Mon, 20 Dec 2010 21:02:24 +0900</pubDate>
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         <title>子どもを自律的に育てる！</title>
         <description>　１０月１６日の土曜日に、浜松にある私立中学校で、「子育て講座」をしてきました。テーマは、「子どもを自律的に育てる」というテーマでした。
　子どもを自律的に育てるためには、自律するエネルギーを与えなければなりません。そのエネルギーが、セルフ・エスティーム（自己重要感）です。私は他人から重要だと思われているという実感です。このセルフ・エスティームを上げるためのアプローチをお話して、次に、失敗から学ぶということをお話ししました。
　親は前もって、子どもが失敗する機会を奪ってはいけないということです。また、失敗したら学ぶ機会を奪ってはいけないということです。つまり、失敗しそうな時に、先回りして、叱ることがよくあります。「気をつけなさい！」とか「何何をやってからこれをするのよ！」とか、失敗しないように注意を促しますが、まずは、子どもに重大な事故が起きる可能性がない時は、黙って見ていましょうということです。
　そして、子どもが失敗したら、子どもに失敗から学ぶことを保証してあげましょう。つまり、子どもが失敗から学ぶ機会を親が叱ることで奪わないようにしましょうということです。アドラーは、そのことを自然の結末といいますが、子どもの内に失敗を一杯させて大人にすることが大切なことです。大人になってから一杯失敗しないために。そして、大人になって失敗したら、そこからしっかり何かを学んでもらうために。
　子どもに自律的に成長してもらうためには、子どものセルフ・エスティームを高め、失敗を恐れないようにすることです。そのためには、子どもの失敗する権利を保障してあげてほしいものです。
　こんな内容のお話をしてきました。</description>
         <link>http://www.jyuku-go.com/blog/002/2010/10/post_77.html</link>
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         <pubDate>Sat, 30 Oct 2010 10:52:29 +0900</pubDate>
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         <title>授業で知的好奇心を引き出せ！</title>
         <description>先日、朝日新聞に「小学教諭、道徳授業で脅迫文作らせる　新聞活字切り張り」という記事が載った。今回のこの手の事件というか、なんというか、変なことがよく起こる。最近も、算数の問題に、殺人を例に割り算をさせて、問題になったばかりだと言うのに、またもや、同じような問題が起こった。
　子どもたちが、楽しんで勉強ができるようにという工夫だと思いたいが、それにしても幼稚だ。このような変な例が、子どもたちに対する興味付けとしての授業だと教師が思っているのであれば、大問題だ。
　子どもたちが、こんなことで楽しそうにしても、そんな楽しさは、勉強に対する興味付けでも何でもない。子どもの知的好奇心をくすぐるために、興味付けの授業がなされるのだから、知的な関連が必要なのだ。ここのところを誤解してはいけないのだ。私は、授業研修などで、ファン（Ｆun）ではなくインタレスト（Interest）を目指すことだと若い教師に伝えているが、知的な面白みを子どもたちに体験させることだ。
　教師は、子どもたちの幼稚性に乗ってしまってはダメだ。子どもたちの幼稚性を引き上げて、知的な興味や関心を引き出すことだ。そのことを忘れて授業をしないことだ。
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         <link>http://www.jyuku-go.com/blog/002/2010/10/post_76.html</link>
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         <pubDate>Mon, 04 Oct 2010 15:57:42 +0900</pubDate>
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         <title>叱る時は、命を賭けて叱る！</title>
         <description>私は今まで叱ることについて、あえて触れてきませんでした。それは、日常的に子どもに小言を言っているだろうし、親が子どもを叱る時は、真剣に叱っているだろうから、叱ることをそれほど取り上げなくてもいいと思っていたからです。
　しかし、ここ数回、保護者の方と面談していて、子どもに対しての姿勢が、どうも人ごとのようになっていることに気がついたのです。「あなたのことなんだから、しっかり考えてあなたが決めなさい」というよ
うな発言を保護者の方がする場面が何回となくあります。その発言を聞く度に、わたしは、ここで叱ってこそ、親なんだけどな！と思うのです。
　例えば、子どもが高校を中退しようとする時に、親が、真剣に子どもに問うことです。そして、もし子どもの判断が安易なところに傾いたら（子どもが自分の将来に対して本気で考えないで判断していたら）、当然、親は子どもを真剣に叱ることです。子どもの目を見据えて、全精力をかけて、叱ることです。最近、そういう場面がないのです。
　教師と生徒でも余りありません。先日、私は、大人が真剣に叱るとはどういうことかを伝えたくて、あるクラスの男子生徒を真剣に叱りました。その生徒の目を見据えて、あらん限りに声を張り上げ、校舎全体に響き渡る声で。
　私の真剣さをそのクラスの誰もが、認めてくれ、それ以後、クラスの姿勢がよくなりました。当然、その男子生徒もがんばるようになりました。命を賭けて叱ることが大切なことなのです。ですから、しょっちゅう、叱ってはいけないのです。
　叱る時は、命を賭けて叱る！</description>
         <link>http://www.jyuku-go.com/blog/002/2010/09/post_75.html</link>
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         <pubDate>Mon, 06 Sep 2010 18:50:16 +0900</pubDate>
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         <title>あまりにも無責任すぎる！業務委託契約！</title>
         <description>8月4日に、朝日新聞の「英語助手と先生、授業協力したら違法　契約巡り現場混乱」という記事を読んだ時に、二つのことが頭に浮かんだ。一つは、行政の怠慢。経費削減と言うよりは、英語教育に責任を負わない体制。もう一つは、現場の教師の英語力に不安があって、現場で実際的な指導ができない問題。
　業務委託ということは、業者に丸投げだということだ。オーラルコミュニケーションとしての英語の授業を全て、業者に任せてしまって、後は知らない振りをしてもいいという契約が、業務委託と言うものだ。
　だから、教育効果に関して、現場では誰も責任を取らないということだ。これが、無責任体制だと言わずして何というのだろうか。教育委員会が、現場の教師出身者で構成されているということから考
えても、現場の事情は分かっているはずだ。だとすれば、現場でＡＬＴに注文も付けられない契約が、教育的に問題があることぐらいは分かるはずだ。教育委員会は、レッスンプランは前もって検討できるからいいとするかもしれないが、実際運用してみて、初めていろいろな問題が出くるだろう。
　そして、現場で臨機応変に対応しなければならない事態になることもあるはずだ。このぐらいは、誰だって予測できるはずだ。
　つまり、経費の問題と天秤にかけても、業務委託契約をやることは、無責任になってしまうことになる（結果的に）。業務委託は、子どもたちの教育を丸投げする発想だと言われても仕方がないと思うが、皆さんはどう思うだろうか。
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         <link>http://www.jyuku-go.com/blog/002/2010/08/post_74.html</link>
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         <pubDate>Mon, 09 Aug 2010 16:56:15 +0900</pubDate>
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         <title>子どもの出来ている点や長所に注目する！</title>
         <description>　子育ての中で、重要なことの一つが、多様な価値観の容認です。子どもを自分の代理として子育てしている親が多いのは、不幸なことです。そういう親は、自分のコンプレックスを子どもを代理にして解消させようとすることが多いので、価値観が親の価値観に一元化して、子どもを追い詰めることになる場合があります。
　たとえば、学歴で苦労した親は、子どもには、そんな苦労はさせたくないから、学歴という価値観で一元化させて子どもを見てしまいます。だから、勉強に対して非常にナーバスになって、子どもをみていくことになるのです。
　こういう状況は、子どもにとっては辛いことです。そういう時に、子どもの何に注目したらよいのか、今回は、そのことを考えてみます。
　私は、子どもの当たり前に出来ることに注目してほしいと思っています。お母さんもお父さんも、隣近所の小母さんも小父さんも総動員して、自分の子どもが当たり前に出来ているところを意識して承認してほしいのです。そして、それを子どもの長所だと信じて育ててほしいのです。
　どういう子どもでいてほしいか、人それぞれ思っていることは違うでしょうが、子どもの悪い点に注目しないで、出来ている点、長所をまずは伸ばすことに力を注いでほしいのです。そして、その次に、親である自分の価値観を子どもに伝えていくことです。
　その時に、忘れてはならないのが、自分の価値観だけが、すべてではないということです。子どもには子どもの価値観が、既に小さいうちからあります。その価値観を全て否定して、自分の価値観の押し付けを行なっても、上手く伝えられません。多様な価値観を容認しながら、子どもを育てることです。
　子どもの長所に注目して、育てていくと、子どものセルフ・エスティームが高まっていきます。そうなれば、子どもは自分の価値観だけではなく、他人の価値観を容認することがしやすくなるのです。セルフ・エスティームが低い子どもに親の価値観の押し付けても、子どもは、それをなかなか受け入れないばかりか、子どものセルフ・エスティームは萎えてしまって、自信喪失に繋がってしまいます。そして、いつも親の顔色を見て過ごすような子どもになってしまいます。
　ですから、子どもの長所に注目し、子どもが失敗しても、悪いことをしても、でもあなたの良い点を私はしっかりわかっているのよ！というメッセージが与えられるような親になってほしいと思います。その上で、子どもを叱ってほしいのです。
　子育てが子どもの可能性の拡大に繋がるためには、子どもの長所を伸ばす以外にはありません。
　短所の矯正は、子どもの自信を奪っていくだけです。子どもの長所に注目してほしいのです。
　そうすれば、子どもは元気になっていくはずです。
　ぜひ、子どもが当たり前に出来ている点に注目してください。


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         <link>http://www.jyuku-go.com/blog/002/2010/07/post_73.html</link>
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         <pubDate>Mon, 12 Jul 2010 15:38:56 +0900</pubDate>
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         <title>反映的な聴き方を心がけよう</title>
         <description>　今回は、子どもの感情を理解する話の聴き方について考えます。、どういう対応を子どもにすれば、子どもが話しをしてくれるのかを考えてみます。そのためには、反映的な聴き方というのが非常に役に立つはずです。
　反映的な聴き方というのは、子どもの話す内容から子どもの気持ちだと思うものを言葉にして投げ返すというものです。子どもの気持ちが、嬉しそうならば、「嬉しかったの？」とか、悲しそうならば、「悲しかったの？」というように言葉にして子どもに返してあげることです。

　例で言えば、こんな会話です。

　子ども：「お母さん、明日から学習塾行かないよ！」

　母さん：「どうしたの？」

　子ども：「塾の先生が嫌なんだよ！」

　母さん：「先生に何か怒っているの？」

　子ども：「そうだよ。あの先生、えこひいきするんだよ！」

　母さん：「先生がえこひいきするから、怒っているのね？」

　子ども：「そうじゃないんだ。僕の間違った答えをみんなに言ったんだ」

　母さん：「恥ずかしかったのね」

　子ども：「うん、・・・」

　子どもの気持ちを親が類推して、子どもに投げかけることで、子ども自身が自分の感情に気がつきます。そうすると、子どもの中でその感情を処理することが出来、子どもの感情的なしこりが消えていく場合があるのです。そういう時に、この反映的な聴き方が、有効になってきます。親が子どもに対してなんでもかんでも解決しようとしなくて済むようになります。
　子どもの感情に集中して話を聴いてみましょう。そのためにこの反映的な聴き方を試してみてください。

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         <pubDate>Mon, 21 Jun 2010 15:48:45 +0900</pubDate>
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         <title>新自由主義が、教育を滅ぼすかもしれない！</title>
         <description>　読売新聞の５月２日号に「教員人事権移譲、条例で…文科省見解」というものが載った。記事を要約すると、今まで都道府県で行なっていた教員の人事権を市町村に移管させていくことが可能になるということだ。
　
　「文部科学省は、公立小・中学校の教員の人事権を現行法を改正せずに、都道府県から市町村に移譲できるとの見解をまとめた。人事権移譲を盛り込んだ条例を都道府県が制定することが条件となる。教員人事権の市町村への移譲は、大阪府の橋下徹知事が「住民に最も近い自治体が教員人事を担うべきだ」として認めるよう求めていた。文科省が正式な判断を示したことで、今後、教員人事権の移譲を求める市町村が出てくる可能性もある。」

　この記事を読んで一つの懸念を私は感じた。確かに、現行の制度は複雑で、市町村が教員の服務管理を担うが、採用や人事については、県がそれを担い、国や県がその人件費を負担している。この制度は、県費負担教職員制度と呼ばれるが、この複雑な制度をシンプルにして、直接服務管理を行う市町村が人事権も掌握するというのは、一見非常に良いことに見える。教員の質についてもある程度担保されるかもしれない。採用した責任が、もろに降りかかってくるのだから。
　がしかし、この試みは、結局は、市町村に財政的な負担を強いるように発展していくだろうから、市町村の首長の経営手腕によって、非常に大きな格差を生む可能性があるように思うがどうだろうか。教育の機会均等と教育の質の確保ならびに向上を狙いに始まったこの現行制度（小泉政権下での三位一体改革で県の負担分が増えて、地域格差が生じることになったが）を、完全に変えてしまう危険性がある。
　もし、市町村に財政的な負担を強いることになれば、地域における教育格差は、現行以上に拡大することになって、義務教育のインフラが崩れてしまうことになりかねない。そうなれば、日本の国力にとって大きな痛手になるはずだ。義務教育に新自由主義的な競争原理は、必要がないものだ。サバイバル競争のような競争ではなく、スキルを競いあって、お互いが高めあうものにしなければならないのだ。そのことと食うか食われるかの競争は全く次元が違うものだ。それを混同したような施策を安易に打つものではないと思うがどうだろうか。義務教育のインフレが崩れないような施策も考える必要があると思う。そうしなければ、この提案は、ちょっと怖い。
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         <pubDate>Thu, 06 May 2010 20:52:27 +0900</pubDate>
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         <title>子どもに対してどう臨むのか！</title>
         <description>　学習塾の先生から二つの相談を受けた。
　一つは、中学校２年生の男子とそのお母さんのことだ。その中２の男子は、テニス部に入っているが、勉強はいい加減で、よく塾を休むそうだ。部活で疲れると塾を休み、部活の朝連があると塾を休むそうだ。お母さんに言っても、暖簾に腕押し状態で、お母さんも子どもの要望を受け入れて、子どもを指導することはないようだった。こんな生徒と親にどう指導していけばよいのかという相談だ。
　もう一つは、子どもに無関心な親に対する相談だった。
　子どもは中学３年生の女子で、この子どもが何をしようが、全く関心を持っていない親なのだ。勉強も部活動も高校進学も、全部自分で決めなさいという親だ。だから、塾でお母さんと話をするのだが、「全て子どもに任せてあるので、子どもに聞いてください」と言うばかりで、話にならないそうだ。
　私が、この二つの相談に対して共通しているなと思ったのは、この親たちは、子どもに対して、愛情を持っていないということだ。
　一つ目の相談の親は、子どもに対して非常に甘いので、子どもとの軋轢は生じないが、子どもが、いろいろな障害を乗り越えていくことができなくなるし、結局、他の子どもがやっていることをやれないまま成長してしまう。つまり、現実とどう折り合いをつけていくかということを子ども自身が学ばないで大きくなっていくことになるのだ。こんな不幸なことはない。
　二つ目の相談も子どもに全てを任せることで、子どものセルフ・エスティーム（自己重要感）が損なわれる可能性がある。自分の親が自分に関心を持ってくれないのだから。そして、大人のアドバイスがもらえないのだ。こんな辛いことはない。どちらも、子どもの成長を願っていないのだ。
　アドバイスとして、子どもには、「自然の結末」と「論理的な結末」を体験してもらうしかないので、しっかり指導していくことをアドバイスした。親には、子育てを避けている原因をしっかり聞くことをアドバイスした。そして、子どもにどんな大人になってもらいたいのかを聞いて、そういう大人になってほしければ、こういうアプローチをとった方が良いのだとアドバイスをしたほうが良いとアドバイスした。

『親がいなければ子どもは育ったない！そう思って、子どもに関心を持つこと！』
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         <pubDate>Tue, 27 Apr 2010 17:53:25 +0900</pubDate>
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         <title>子どもに罰を与えない！</title>
         <description>　私たちは、ついつい子どもを叱ってしまいます。たとえば、テーブルの上のグラスを倒して、牛乳をこぼしてしまえば、何をやってるの！と子どもを叱ってしまいます。部屋が汚いから、部屋のおもちゃを片付けなさいと注意しても、子どもがなかなか部屋を片付けなければ、おもちゃをゴミ袋に詰め込んで、捨てるまねをします。子どもを脅しながら、部屋を片付けさせようとするのです。それほどさように、私たちは、様々な罰を子どもたちに使って、指示・命令を子どもたちに行使しています。
　しかし、この罰を使って子育てをしていると、思わぬ弊害が出てしまう場合があるのです。今回は、その罰の弊害を考えたいと思います。


『罰の好ましくない効果』
　　　
◇罰を使って、子育てをしていると、次のような弊害が起きる可能性があります。

１．罰する人がいなければ、子どもたちは、不適切な行動を取ってしまいやすくなる。
　　子どもたちは、罰する人と罰しない人を区別するようになって、人の顔色を
　　見ながら、自分の行動を取ってしまうようになる。罰する人がいなければ何を
　　してもいいと思うようになる可能性がある。また、親の判断に依存的になって、
　　何をやるにしても親の言うことを聞くようになってしまう可能性がある。

２．不適切な行動を罰するだけでは、適切な行動を学べない。
　　不適切な行動を罰するだけでは、適切な行動を学習できない。子どもの行為を
　　罰するだけでは、行為をするという意欲も失われてしまう可能性があるので、
　　不適切な行動をしなくなるが、適切な行動もしなくなる可能性がある。

３．罰も子どもの行為に関心を示す一つの行為になるから、不適切な行為を強化する
　　可能性がある。
　　親に無視されるよりは、罰せられることで、自分に関心が向くので、子どもは、
　　関心を引くことに成功したことになっていまい、不適切な行為が続く場合がある。
　　
４．罰を与えると親を憎むようになる。
　　子どもは親に愛されたいが、親から罰を与えられ続ければ、親を憎むように
　　なる。愛している親を憎むようになれば、その憎しみは、非常に深いものになる
　　可能性がある。

　自分のストレス解消のために子どもに八つ当たりしながら、子育てをしている親はいないと思いますが、罰を使う頻度が多くなっていれば、その弊害が出る可能性があります。罰による子育ての比率を極力下げるように意識してみてください。

　『恐怖で子どもを動かしてはいけない。罰を子どもに与えても何も生むことはない！』
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         <pubDate>Sat, 24 Apr 2010 16:34:29 +0900</pubDate>
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